中絶、流産、DV、離婚、鬱病、整形失敗。ひっそりと孤独死した日本の大女優が芸能界の裏を暴露



昭和の大女優


大原麗子(本名:飯塚麗子)さんは15歳の頃からエキストラとして活躍し、18歳で女優としてデビューした後はスター街道を駆け上がり、ドラマに映画に引っ張りだこ。

私生活でも森進一さん、渡瀬恒彦さんと2度の離婚を経験し、波瀾万丈の人生を送ります。

森進一さんは当時芸能界で干されてあまり仕事がありませんでした。
そこで大原さんが一生懸命働き、自分の事務所を構えて、生活費を稼いでいたそうです。
流産経験もある大原さんですが、断る事の出来ない大きな仕事のオファーがあるからと、泣く泣く中絶をしたこともありました。

幼い頃から父親に暴力を受けて育った大原さんですが、離婚会見では自分のことを「男」と言った大原さん。
まだ女性の社会進出がそこまで一般的ではなかった時代に、男、いわゆる「外でお金を稼いでくる人」が「家庭に2人いた」ことが離婚の原因だったとも話しています。

美容整形失敗談

大原麗子
参照元:http://blog.gekko-u.shop-pro.jp/


大原さんは生まれつき、片方の目だけが二重まぶたで、もう片方は一重まぶたでした。
メイクをする際には細く切ったテープを使い、両目の目の大きさを整えていたそうです。

のちに、自身が老いてゆく恐怖で大原さんは二重まぶたの整形手術を受けますが、当時の安い美容外科で受けたその手術によってなんと細菌に感染。

顔全体がまるで別人のように腫れ上がってしまった大原さんは、決まっていた映画などの大きなオファーも断らざるを得なくなり、しばらく芸能界に姿をあらわすことができませんでした。

その後、何回かの修正手術を受けてなんとか美しいまぶたに戻す事ができたようですが、入れ替わりの激しい芸能界での仕事は一気に減ってしまいました。
それが後に、四肢に力が入らなくなるギラン・バレー症候群という病気につながったのではないかと言われています。
他にも乳がんの手術をしたりと、大原さんをたくさんの不幸が襲いました。

大原さんは以前から自身の身体にコンプレックスを抱いていたようで、「見せられるものではない」という理由で映画でのきわどいシーンでも脱ぐ事はありませんでした。

晩年の大原麗子さん

ooharareiko
その後いちど芸能界に復帰した大原さんですが、その撮影の放送を見た大原さんは自身の姿にショックを受け、その後二度と芸能界に戻ってくる事はありませんでした。
理由はそのときに共演した2つ上の俳優、渡瀬さんよりも自分の方が老けてみえて、悔しかったから。

60代になると精神的なバランスを崩して躁鬱病となり、かつての友人や芸能界の仲間達に一方的にひたすら長電話をしていたそう。

大原麗子さんの弟の協力によって「大原麗子 炎のように」という本が出版され、大原さんの波瀾万丈な人生が表に出る事となりました。

大原さんの死因は脳の血管が破れ脳内出血を起こした事による心不全で、連絡が取れない事を不審に思った実の弟が自宅へ行くと、死後しばらくたった大原さんが発見されました。

享年62歳という若すぎる死でした。

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